夜兎日月抄@適当

適当に更新する日記帳です。 日々の生活の中で感じたこと、見つけたもの、書き留めておきたいことなどを残していきたいと思います。

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『密林の食葬族』を読んで

年越しから新年にかけて読んだ本です。
恒友出版 芥川玲司 著、『密林の食葬族』。
中央アフリカの奥地に住むという、死者を弔うためにその生肉を骨の欠片も残さずに
全て食べるという部族を求めて、ムサンボ族の案内人、ンガとフウリカと共に
著者が3人の仲間と前人未踏の密林に向かうというノンフィクション。
そして『死者を自分の中に生き返らせる(戻ってこらせる)』という
神聖な儀礼としての食葬を行うベラル族(BERALU)に、心と心の交流(心流)を求めて
密林での野生の生活と想像を絶する体験を表したものである。

1970年の体験から13年(後書きでは1984年)経ってからの発行であるが、
その時点でベラル族は20名にも満たないと書かれている。

読後感は、死に対するプライミティブな感覚が、日本人古来のそれと異なるため
異質なモノを感じる。
しかし、始原的な崇高さには心を動かされたように思った。

残念ながら、ネットで軽く調べたてみても、『ベラル族』というものが
実在したのか、また今でも存在するのかは不明である。
たまに思い出して、調べてみようと思う。

ちなみに、古本として検索すると、3冊がヒット。
発刊時の単価は1000円だが、2010年1月時点での価格は500円となっていた。
異色な体験記が好きな方は是非。
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  1. 2010/01/01(金) 17:30:33|
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狂気 - ルソン住民虐殺の真相 -

狂気 - ルソン住民虐殺の真相 - を読んでます。

フィリピン大虐殺に関わった、一兵卒の戦後心境と回顧録を綴ったものだが、
狂気と悔恨の念に充ち満ちた文章のはずが、第一章の7行目で思わぬ伏兵が潜んでいました。

---------
大袈裟かもしれないが、すべて天命に恃(たの)むのみと、私にすれば悲壮な決意だった。
(中略)
身をかがめ、目をつむったのは離陸浮遊の束の間で、あとはふぐりをちぢめながらも窓外を眺めることもできた。
---------

『ふぐりをちぢめながらも…』って…。。

思わず吹き出してしまいました。

著者である友清高志さんが、狙ったのか、それとも正直な戦きを表したのか、真意はわからないが、
この一文だけでこの著書が好きになりました。
これから読み進むところですが、先が楽しみです。
  1. 2009/11/23(月) 14:22:34|
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異形の城

東秀紀の『異形の城』を読んでいて、織田信長に対して外様の荒木村重が明智光秀に語った言葉が
心に残った。

目新しいことではなく当たり前のことなのかもしれないが、なぜか気になってしまう。

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「確かに、この光秀、今もそう信じておりますが」
しかし、村重は首を横に振った。
「かつてはそうだったかもしれませぬ。
あの伸びやかな岐阜城の頃は。しかし、今の右府様は変わっておしまいになられたのではないでしょうか。畿内を制圧し、最も恐れていた武田軍団を破るに及んで、恐れるものが何もなくなってしまった。すべてがうまく運べば、人は我を抑える必要がなくなり、他人への遠慮や思いやりをなくすものです」

(P.69)
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自分やまわりの人に当てはめてみて、本当にその通りだなと感じた。
我を抑えなければ、ただの暴君と化し、家臣を治めるどころか自らの首をも絞めてしまう。
それこそ自分もまわりも不幸になるだけ。

肝に銘じて、心がけるようにしていこう。
  1. 2008/09/20(土) 11:15:40|
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仕事に対する自負と矜恃

『司馬遼太郎・梟の城から』

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重蔵は、にやりと笑って、まるで他人を冷やかすように云ったが、小萩の表情はそれに応じなかった。
「ですから、このまま逃げようと申しております。たれも知らぬ土地で世帯をつくりましょう。早うお心を、お決めくださりませ」
「重蔵は、おとこと生まれて、それほどにそなたに思われたことを過分に思うわい」
「何を仰せられます。揶揄なされますな」
「いや、本心じゃ」
「ならば、小萩を、好きと仰言ってくださいますよね」
「うむ」
「では、逃げることも?」
「それはことわる」
「え。なんと申されました?」
「断わる。重蔵は男じゃ。男である以上、いつかは愛した女にも倦きるが、しかし仕事には倦きぬ。男とはそうしたものじゃ。薄情なことを申すようじゃが、重蔵は情けに溺れて、仕事を裏切るわけには参らぬ」

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俺も仕事が大好きな時期がありました。
今は、その頃の情熱を失っていると思う。
いったい、いつ頃からだろう。

部下の不始末を自分で負うようになってから…?

こんな風に感じているということは、まだ部下を持つには時期が早すぎるのだろうか?
たった20数人をまとめているだけなのに、いろいろなことが起こりすぎて
落ち着いて一つ一つを解決できないまま、自転車操業になっているために
仕事への取り組みが疎かになっているのだろうか。

以前の情熱を取り戻すべく、明日から頑張ってみよう。
  1. 2008/06/25(水) 23:06:25|
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買った本

昨日購入した本。

1,使ってみたい武士の日本語
  帯言葉:真の品格ある日本語がここにある。
       侍言葉は、味わい深い日本語の宝庫。
       忘れてしまってはもったいない品格ある
       日本語の数々を身につける!

2,本当は怖ろしい漢字
  帯言葉:身の毛もよだつ漢字の話

3,図説・戦車
  帯言葉:図解でわかる!戦車の傾向と対策

4,Excel 関数サンプル活用辞典
  帯言葉:活用したかったサンプルが満載!
       こんな使い方を知りたかった!
       実務に役立つ使用例満載のExcel関数リファレンスです。


正月休みに読む本が山積みなので、読破するのはいつになるやら…
  1. 2008/01/03(木) 12:42:25|
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白楽天「長恨歌」

昔から名前だけは知っていた「長恨歌」。

読んでみたいな、とは思っていたのだけど、恥ずかしながら今まで自分からは求めようとは考えなかった。
そうこうするうちに、馳星周の同名の著書「長恨歌」を読んじゃったりする始末。

図書館に行ってプラプラしていると、漢詩の本を見つけたので何の気もなしにページをめくってみる。
すると「長恨歌」の文字が。

あとは食い入るように活字を目で追い、在りし日の玄宗皇帝と楊貴妃の悲歌に酔いしれ、しばし心は遙かな中華大陸へとうつろう。

俗に言う、「詩人」にはなりたいと思わないが、この詩のように人の心を揺さぶる事の出来る詩が書けるのなら、たとえ貧してでも「詩人」になってみたい。


ちなみに長恨歌の説明 ↓


中国・唐の時代を代表する詩人・白居易が作った漢詩。
全部で120句からなる長編の叙事詩で、唐の皇帝・玄宗と楊貴妃との恋愛物語(悲劇的ではあるが)が語られている。
叙事詩の体裁をとっており、紫式部や清少納言は白楽天の詩の愛読者であった。
  1. 2006/04/16(日) 20:57:03|
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「藤井軍曹の体験」を読んで

副題:最前線からの日中戦争
著:伊藤桂一

一人の兵隊の入営から終戦までの事跡をまとめたノンフィクションである。
槍兵団(第七十師団)の独歩第一〇五大隊に所属し、二等兵から軍曹までの辛酸と敗戦に至るまでの出来事を記した戦記だ。

以下の「続き」には、俺がもっとも感銘を受け
一言一句を心に刻みつけようと思った段落を記載しておく。
著作権がうんたら、という良識ある方は覗かないで下さい。 [「藤井軍曹の体験」を読んで]の続きを読む
  1. 2005/10/29(土) 23:17:26|
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出版ダイジェスト

みすず書房より、出版ダイジェストが届いた。
10年ほど前にエリ・ヴィーゼルの本を購入し、その際愛読者カードに感想等を記入し投函してから時折送られてくる。

なかなか一般向けでない内容の本を詳細に解説・紹介してくれるので実際に購入する前の「参考書」的な使い方が出来るため、かなり助かっているうえに、普段は手を出さないジャンルの本を「つまみ食い的に」読んだような気になれるので楽しみにもなっている。

なにせ、割高な本(三千円~一万円)は、いくら本が好きだと言っても購入前の下調べが必要だ。

本の虫の一匹でもある私は、一冊の本との出会いも人のそれと同じように一期一会だと思う。
今でも「あの時に買っていれば…」と悔いが残っている本も数え上げればきりがない。

筆頭はダンテの『神曲』豪華装丁版である。
挿絵はギュスターヴ・ドレ。圧倒的な迫力で迫ってくる地獄、煉獄、天国の光景と
そこに棲まう?異形の者たち。
挿絵という範囲を超えたような多数の絵と、頁の側面に吹き付けられた金色の
顔料という、垂涎モノの逸品。

あの時は、数日前に別の高価な本を購入していたために財布の紐をきつくしていたのである。
すでに『神曲』は簡易版と愛蔵版の2冊を持っていたし、次に見つけたときにまだ欲しかったら購入すればいいんじゃないか、と考えていた。

それからしばらくして目にとまった時、金の装丁では無くなっており、頁の側面は銀色の輝きに変わっていたため、失望感と後悔に襲われたことを覚えている。

たとえは悪いが、金の卵を産む鶏の腹を裂いたところ、腹の中からは何も見つからなかったような「時間を取り戻したい」という焦燥感。
未だに諦観には至ってない。

さすがにその時のような「装丁が変わる」といった理由の『未購入のための悔い』は無くなったが
最近増えたのが、絶版による未購入の悔いである。

内容の薄く、大衆に迎合する本が主流を占める近年、読み応えのありすぎる本は敬遠とまではいかないまでも、活字離れを叫ばれて久しい若年層は手にもとらず、ましてや読んでみようかなどといった気にはならないだろう。

軽薄短小が持て囃されていくのは世の常だが、『世情に流されず迎合はしない』出版物を得手とするような反骨の出版社には是非とも頑張って意地を張り通して貰いたいと思う。
「紙魚」の一匹として心からエールを送り、及ばずながら力になりたいと感じた中秋の夜。
  1. 2005/09/19(月) 22:25:18|
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